お気に入りタイトル/ワード

タイトル/ワード名

最近記事を読んだタイトル/ワード

タイトル/ワード名

LINEで4Gamerアカウントを登録
【ミートたけし】ミートママの不死鳥伝説
特集記事一覧
注目のレビュー
注目のムービー

メディアパートナー

印刷2025/07/31 07:00

連載

【ミートたけし】ミートママの不死鳥伝説

ミートたけし /  川村 竜  / ベーシスト,作編曲家 ,ストリーマー

画像ギャラリー No.005のサムネイル画像 / 【ミートたけし】ミートママの不死鳥伝説

ミートたけしの「世界の平和が俺を守る!」

ミートたけしYouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/@meatalk


第21回:ミートママの不死鳥伝説


7月は介護で演奏活動をお休みさせていただいた筆者
画像ギャラリー No.001のサムネイル画像 / 【ミートたけし】ミートママの不死鳥伝説
 皆さんこんにちは,こんばんは。
 先月はこの連載をお休みさせていただき,ご心配やご迷惑をおかけしました。XやYouTubeなどでは報告いたしましたが,6月中旬に母親が脳腫瘍で倒れてしまい,その対応でバタバタしていて原稿を書く余裕がありませんでした。
 先に言わないと湿っぽくなってしまうので,先にご報告しますと,母・佐和子はもうピンピンしております。というか今,目の前で菓子パンを頬張りながら昼ドラを観ています。

 YouTubeなどではこれまでにも言ってきたのですが,母・佐和子は2年ほど前にステージ4のがんを患い,その時点で余命は2〜3か月と宣告されていました。非常に厳しい戦いになる,とお医者様から言われていたので,当時の自分は腹を括り,家で看取ってやろうということで,退院後,俺の自宅での緩和ケアに臨みました。
 せめて死ぬまでに好きなものを好きなだけ食わせてやろうと,毎日が打ち上げのような食生活でした。しゃぶしゃぶ,焼肉,すき焼きは当然ながら,寿司,カニ,ふぐ……昔の貴族はこう過ごしたのだろう,という生活を続けました。
 しかし悲しいかな,それを一生続けられるわけではなく,2〜3か月のことだと思うと,美味しそうに飯を頬張る母を眺めながら込み上げてくる涙を堪える毎日でした。

 しかし,様子がおかしいのです。
 余命2〜3か月の厳しい戦いになる。
 確かにお医者様はそうおっしゃった。だがどうだろう。4か月が経ち,5か月が経ち,ついに半年が経過した。目の前のステージ4の老婆は痩せ衰えるどころか,その血色は良くなり,むしろ健康的に肥えてきている……。
 毎月の食費が100万近くになる日々が半年続き,さすがに少しだけ,ほんの少しだけイライラし始めた私に,医師はこう言った。

 「がんが……消えています」

 どういうことなのか,一瞬理解しかねた。ステージ4のがん,余命2〜3か月。厳しい戦い……そうだ戦いだ。先生! 厳しい戦いはいつ始まるんですか!? そう問いかけた私にお医者様はこう言った。

 「あの……戦い終わりました」

死ぬ前に一度シルク・ドゥ・ソレイユが観たいと言って,死なずに3回目を観に行く母
画像ギャラリー No.002のサムネイル画像 / 【ミートたけし】ミートママの不死鳥伝説
 なんと一発目の抗がん剤治療が効きに効きまくり,全身に転移していたがんが消えてしまったという。正確には,細かく散らばっていたものがすべて消えたので,あとは大元の大腸のがんを摘出すれば大丈夫だという。
 これはよくあることなのかと尋ねると,お医者様は「私もこんなことは初めてです」とおっしゃった。どれだけの強運を持ち合わせれば,こんなことが起きるのだろうか? そうして大腸がんの摘出も無事終え,我が家に戻ってきた母・佐和子。開口一番「あ〜,やっぱり家が一番だね」。
 違う。ここは俺の家だ。看取る覚悟で住まわせていたのであって貴様の家ではない。しかし母・佐和子は俺の家を出ることなく2年の歳月が流れた。佐和子の荷物は増え,庭には電動ママチャリが置かれた。お茶会と称して,近所の同年代のご婦人方が家に集まってくる。

 もう耐えられない。どこかマンションを見繕うからいい加減出て行ってくれ。そんな話をするようになった矢先のこと。
 仕事に行く準備をしている私の目の前で佐和子が倒れ,崩れ落ちた。


意味のないことは一つもないのかもしれない


 意識を失って倒れた感じではなかった。あれ? あれ? と言いながらへにゃっと崩れ落ちる感じ。そして「立ち方が分からない」などと言いながら,周りのモノにつかまろうとするが,その手は空を切り続ける。
 すぐに救急車を呼んだ。様子がおかしいことも伝えた。救急車なんて呼ばないで! と泣き叫ぶ佐和子を無視し,状況説明をし続けた。救急車を待っているあいだも佐和子は,ニコニコと最近の入れ歯事情を語り始めた。異様な光景だった。ホラー映画を観ているかのように鳥肌がたった。

 救急隊員が到着し,両手を上げるよう佐和子に指示を出すが,右手しか上がっていなかった。隊員がこちらを向いて首を振る。あぁ,もうダメなのかもしれないとすら,そのときは思った。
 救急車に乗り,なんとかがん治療をしていただいていた病院への搬送をお願いして,幸いにも受け入れていただけた。救急搬送されて数時間後,お医者様から聞かされたのは「脳腫瘍」という言葉だった。

 2年間,ずっと通院を頑張り,がんを見つける腫瘍マーカーにも反応がなかった。これから先も鬱陶しくも愛らしいこの母親は生き続けるんだ。どこかでそう油断していたのかもしれない。
 この2年間,もっとやれることはあったのではないだろうか。脳の検査も自分から提案できたのではないだろうか。お医者様からの説明を受けながら,自責の念に支配されかけた。

死ぬ前に一度クルーザーに乗りたいと言って,死なずに2度目の乗船を果たす母
画像ギャラリー No.003のサムネイル画像 / 【ミートたけし】ミートママの不死鳥伝説
 病室に移った母は,数時間前の姿と一変していた。目はうつろで私を認識することもできず,左が動かない! 動かない! と泣き喚いていた。
 父も脳梗塞で半身不随となり,私が18のときに他界したが,「お父さんと一緒になっちゃったよぉ」と叫ぶ母親を見て,自分の中でも整理しきれない感情が渦巻いた。
 鎮静剤を打たれ,寝息をたて始めた母親を眺めながら,左半身の自由を失った彼女の今後をずっと考えていた。すると目の前の老女は寝返りを打った。左手と左足を使って。ん? お前,今,バリバリ左半身使ってんぞ?
 ちょうどそのとき,顔を出してくださったお医者様に,左半身麻痺のことを尋ねると,先生はケロッとした顔で「いえ,半身の麻痺は見受けられませんよ?」とおっしゃった。
 なんなんだこのババア。そんな思いでグースカといびきをかく佐和子を眺める。しかしお医者様から詳しい話を聞くと,やはり生死を分かつ状況ではあったとのこと。3cm大の腫瘍が左後頭部にあり,それが脳を圧迫したことで,脳が浮腫んでいる状態だったという。発見が遅れて処置が遅くなっていれば,そのまま亡くなっていたという。

 あのとき,母がへたり込むのがあと5分遅かったら,私は仕事に出てしまっていた。仕事から帰った夜,リビングで冷たくなっている母親を発見することになっていたかもしれない。そう考えただけで背筋が凍る。
 そして疎ましかった2年の母親との同居生活は,この日のためにあったのかもしれないと思った。40過ぎた成人男性が母親の面倒を家で看るというのは,やはりそれなりに不自由を余儀なくされるものだった。
 しかしそれもこれも,この日この瞬間に母が崩れ落ちるのを目の前で見ることができたという事実の前では,はっきり言ってどうでもいいものだった。
 考えつく限りすべての人々に感謝を捧げた。生きていて無駄なことなんて何一つないのだろう。無駄になってしまうのだとしたら,それはきっと,何かしら自分のせいなんだろう,と強く思えた。


それでも変わっていく生活と向き合う


なんか簡単そうな楽器だよね。と,ウッドベースを弾き出す退院後の母
画像ギャラリー No.004のサムネイル画像 / 【ミートたけし】ミートママの不死鳥伝説
 今この原稿を書いている現在では,脳腫瘍も無事に摘出し終わっている。手術から2週間ほど経っているが,今のところ,致命的な高次機能障害は見つかっていない。
 とはいえ,実は今,私は演奏活動のお休みをいただいている。退院後は,新たにリハビリ施設に入院して,今,何ができなくなってしまっているかを見つけなければいけない状態なのだが,佐和子はそれを拒み,(俺の)家に帰りたい! とまたしても泣き叫んだ。もはや歌舞伎の十八番並みの泣き芸だ。

 とはいえ,家を空けることの多い仕事柄,家に一人で過ごさせるのはまだ危険だという。どうにかこうにか関係各所に頭を下げ,力を貸していただき,なんとか1か月の休みを作った。
 お医者様にも,1か月間はそばについているので退院後は(俺の)自宅での療養は可能か? と尋ねたら,そういうことならばとOKを出してくれた。

 自分がそばにいることを条件に退院できる旨を母に伝えると,「そんなことさせるくらいならリハビリ入院したのに!」と言ってきたので,傷口から手を突っ込んで頭の中をかき回してやろうかとすら思ったが,なんとか思いとどまり病院から連れ帰ってきた。


すべてをポジティブに捉える!


 思わぬ1か月の休み。母親の介護付きとはいえ,こんな時間は20年ぶりくらいだ。今まで読めなかった本を読み,観られなかった映画を観る。作曲も演奏も,何かに追われず伸び伸びと考える。配信やYouTube,コーヒー事業,そしてこの連載についても考える時間を持てている。

 休もうと思えば1年くらい休んでもどうにかなるが,自分の心と身体の負担を考えると,バランス良く付き合えるのは1か月だろう,という目算を立てたのだが,ドンピシャでクリエイティビティを失わない毎日を過ごせている。
 それなりに波乱万丈の人生を送っている自覚はあるが,もっと大変な人なんて世の中にごまんといるわけだからして,“あの川村 竜さん”ともあろう者が折れるわけにはいかない。

 今しかできない時間の使い方,過ごし方があるはず。こんなときに限ってとてもうれしいコーヒーのお仕事もきた。今でご一緒したことがない方からの依頼もきた。すげえ可愛い女の子達と「APEX Legends」をやることになった。この1か月をまたその先の未来のために全力で過ごしてやる!

 そしてやっぱり思うわけです。今回はとくにマジです。世界の平和に私は守られている,と。
 少しだけ湿っぽい話になってしまったかもしれませんが,皆さんに少しでも勇気と力を分け与えれられることを願って。それではまた来月お会いしましょう!

■■ミートたけし / 川村 竜(ベーシスト,作編曲家 ,ストリーマー)■■
ベーシストとして国内外各所でライブやコンサートで演奏活動をしつつ,配信活動も活発に行っているミートたけしこと川村 竜さん。現在は主にYouTubeチャンネル「ミートたけし-MEAT TAKESHI-」とTwitchチャンネル「ミートたけしの『太くてニューゲーム』」で,雑談配信をしたりゲーム配信をしたりと大忙しの様子です。
  • この記事のURL:
4Gamer.net最新情報
プラットフォーム別新着記事
総合新着記事
企画記事
スペシャルコンテンツ
注目記事ランキング
集計:07月31日〜08月01日